Analog Church (2)

教会にはアナログさが必要とのことを紹介しました。

それは顔と顔を合わせて、可視的な信仰者の姿を見て、一日一日を歩み続ける、そのような現実的な可視的な信仰者のライフスタイルです。

それが教会に本質的に求められる核心的な部分であり重要な要素なのではないかとJay Kim牧師は主張します。

ただ物理的にそれが不可能な場合、例えば今の新型コロナウイルス感染予防のための緊急事態宣言下の教会では、暫定的にデジタルになることも、暫定的には良しとされるのであろうといいます。

Kim牧師は、平常時の行き過ぎたデジタル化、そして非現実的な教会の礼拝形態に対して警鐘を鳴らしているように思われます。

アナログ推奨派のKim師ですが、デジタルであろうが、アナログであろうが、如何なる時でも決して見失ってはならない要素が教会にはあると言います。それがみことばを共に聴くという礼拝行為です。

一人ひとりがデボーションをすることは最低限のことだと思います。しかし、信仰共同体として共にみことばを聴くという行為が重要なのです。それが毎主日繰り返し行われるという事実が大事なのです。そして我々は、そのことが如何に大切かを再認識しなければならないと述べるのです。

それゆえに、最も求められることは、音楽や雰囲気がどうのこうのということではなく、教会が信仰共同体として共にみことばを聴く行為を大切にし続けているか否かであると言います。

共にみことばに聴き入る。アーメンとしか言いようのない主張だと思います。そしてそれはデジタルでもアナログでも決して見落としてはならないことです。

デジタル対アナログ。何れにしても、一概にどちらの方が良いと言い切れない部分はありそうです。

何が重要事項なのか。その大切なことを見失ってはならない。それが確かなことだと言えるでしょう。

「また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」(へブル人への手紙10:23-25)

このみことばの通りに「集会をやめることはしないで」、互いに励まし合うこと。これが今我々に最も必要とされていることなのではないでしょうか。

今置かれている時代と社会そして環境の中で、我々は共にみことばを聴き、共に主を礼拝することを第一として生きる。この後、どのような世界になっていこうとも、これこそが変わることのない教会の真髄なのだと思います。